岡本太郎 Taro Okamoto
「芸術は爆発だ!」のフレーズで知られ、絵画、彫刻、写真など様々なジャンルで活躍した芸術家・岡本太郎(1911~1996)。1970年には大阪万博のシンボル《太陽の塔》で一躍脚光を浴び、2025年の万博開催に向け、今またその芸術に注目が集まっています。制作・文筆・撮影といったマルチな活動から革命的なビジョンを鮮やかに展開していった岡本太郎。常に自己に挑み、社会に向けて芸術の在り方を問い続けた岡本太郎から、現代を生きる私たちを鼓舞する「力」を強く感じます。
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Biography
1911年 | 漫画家の岡本一平と歌人・小説家の岡本かの子の長男として生まれる。 |
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1929年 | 慶應義塾普通部を卒業後、東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科入学。 |
1930年 | 父の取材旅行に同行し、パリへ。 |
1932年 | 第5回サロン・デ・シュランデパンダン展に出品。以後、数年にわたり出品。 |
1938年 | 国際シュルレアリスム・パリ展に「傷ましき腕」を出品。 |
1941年 | 第28回二科会に滞欧作品「傷ましき腕」「コントルポアン」等を出品し、二科賞を受賞。 |
1942年 | 応召し現役初年兵として中国戦線に出征。 |
1946年 | 世田谷・上野毛にアトリエを構える。 |
1951年 | 戦後初の個展 岡本太郎展を開催。他、国内外へ出品多数。 |
1954年 | 青山にアトリエ(現・岡本太郎記念館)が完成。 |
1964年 | 東京オリンピック参加メダルを制作。 |
1970年 | 万国博覧会シンボルゾーン中央に「太陽の塔」「母の塔」「青春の塔」が完成。 |
1981年 | 「芸術は爆発だ!」の言葉が流行語となる。 |
1996年 | 急性心不全にて逝去。 |