「玄」 書×篠田桃紅
存在のもとは、さびしく幽かなもの。 老子はそれを「玄」といい、くろ、それは真黒でなく、幽かに明るいくろ、といった。 墨という道具は、その表現のてだてとして何千年の歳月を歩んできたらしい。 子供のころ、父から最初にあてがわれた墨に「玄之又玄」と銘があった。 私は「玄」も老子も何も知らずおとなになり、 墨に親しみ、墨になじみ、墨をたよりにし、墨に誘われ、操られ、惑わされ、裏切られ、 また墨に救われているうちに老いた。 だが、まだ墨とのつき合いは終わらない。 「桃紅―私というひとり」より抜粋]]>