アートと出会う
「大悲願船」篠田桃紅書 黒書院玄関前の壁龕[/caption] その作品は黒書院で拝見することができます。黒書院の表玄関に立つと、正面に純和風なのですが、どこか西洋の教会を思わせる壁龕(ニッチ)、その中に篠田の書がライトに照らされて輝いていました。『大悲願船』は親鸞聖人のお言葉と思われます。阿弥陀仏の生きとし生けるものの苦を救うという心(大悲)から働きでる知恵を受けて、暗い苦悩の人生の道のりが、明るい大海原をゆったりとした心持ちで船に乗って進んでいくような道が開けてくる、その働きと心境を表す言葉と受け止めています。篠田がこのように宗教的な意味合いを持つ言葉を書くのは大変珍しく、とても貴重な作品だといえますが、住職様からの応需により昨年制作されたものです。大変力強い中に、篠田らしい繊細でかつ鋭い線も垣間見られる素晴らしい作品です。 黒書院の本座敷の床(二畳間)に向かって左に付書院が設えられています。この床の間には、当寺最初期の本尊(絵像)でありました「阿弥陀如来来迎図」(南北朝時代)の軸が掛けられていますが、今まさに西方浄土から雲に乗って阿弥陀さまが、お迎えに来られている図柄です。この軸一枚により、室内(21畳)にピンと張り詰めた空気が感じられました。ここに行事の客僧が通され、茶やお斎がふるまわれるそうです。 [caption id="attachment_4448" align="aligncenter" width="300"] 黒書院襖絵 篠田桃紅作[/caption] [caption id="attachment_4449" align="aligncenter" width="300"] 黒書院襖絵 部分[/caption] この黒書院の本座敷と次の間との間の計6面(3間分)の襖には篠田の抽象が描かれています。とは言え、厳密には左側4面の中の1面と右側2面のうち1面に抽象、もう1面に落款という構成になっています。右側の襖から見ていきましょう。何本もの線が交差する抽象作品です。何らかの文字(たとえば「流」)を基にした抽象なのか、はじめから篠田の頭の中で生まれた抽象なのか分かりませんが、作品について作者は何も語ってくれません。観者が感じるままに受け止めれば良いのでしょう。私には迸り出る命の喜びを表現したものに感じられました。その目で左側の4面を見ると、こちらは大きな空白の中に小さく二筆。悠久な時空の中を漂う大乗の船の姿に見えました。果たして作者の意図は奈辺にあったのでしょうか。襖の大半をしめる空白の部分とわずかに描かれた抽象とがもたらす緊張関係に、身の引き締まる思いがしました。この書院の壁は、総白漆喰で、この襖の作品は調子を合わせるように越前和紙の精白な麻紙が使われています。この書院の再建が平成25年ですので、篠田99歳の頃の作ということになります。しかし、目の前には全く年齢を感じさせない構想の大きなそして力強い作品が広がっていました。観光寺院でないので、これらの作品が一般公開されていないのが、ちょっぴり残念です。 [caption id="attachment_4451" align="aligncenter" width="300"] 庫裏2階からの湖の眺め[/caption] このあと、本堂などを参拝して、もう一度庫裏に移りお茶をいただきながら、ふと窓の外を見遣ったとき、大きな池の向こう側の林の梢に散り残った葉に西からの夕日が射して美しく輝いていたのが印象的でした。そして本日、鑑賞した篠田作品がもう一度蘇り、建築美とも融合して、仏教思想(浄土信仰)を想起させる瞬間でありました。 ]]>