カンボジアの風(1)
いま頃カンボジアは雨季に入り、夕方になると連日のように激しいスコールに見舞われていることでしょう。この雨季に入る少し前に、アンコール遺跡群を見るためにカンボジアに行ってきました。シェムリアップに3日間宿泊しただけの、短い滞在でしたが、その時に感じたことなどを記してみたいと思います。
シェムリアップに到着した翌朝、早速アンコール遺跡の探訪に出ました。小学校の始業が6時半というように、カンボジアの朝はとても早い。街中は、人でごった返すと言うほどではありませんが、トラック、乗用車、バス、バイク、自転車などが入り乱れて走っていて、前の車やバイクなどに近づくたびに警笛を鳴らして追い越すために、喧しいこと一通りではありません。シェムリアップは人口90万人という大都市でありながら、信号機がたった三箇所しかないありません。でも、それなりに秩序が保たれていて、滞在中に事故を見ることはありませんでした。
車窓から、人々の営みを見つつ、果たしてカンボジアの風はどんな匂いがするのだろうかと考えてみました。まず、かつての宗主国フランス。さぞ色濃く残っているのだろうと思っていましたが、フランスの匂いはほとんど感じられませんでした。たとえば、道路案内の表示。現地クメール語と英語のみで表示されていて、フランス語は全く見当たりません。どうやら占領時代への反発から意識的に消去されているように思われました。そんな中でもっともフランスの香りが感じられたのは、統治時代に製法を学んだフランスパンでしょうか。今でも好んで食べられているようでした。また、遺跡見学に訪れたフランス人カップルを案内していた現地人ガイドの話すフランス語がとてもきれいだったことも印象的でした。言葉という遺産も大きいのですね。
そのフランスに代わって強烈なにおいを放っているのはアメリカです。とくに、経済の全般にわたってアメリカの影響が強く見られ、USドルが一般的に流通しています。現地通貨のリエルはむしろ補助的に使われているようで、ドルで支払いをしてもお釣はリエルで返されるということも多いようです。その場合は、旅の記念として持ち帰るか、チップとして使ってしまうくらいしかありません。次いで中国。東南アジアの他の国と同じように、もともと華僑の進出が著しかったうえ、さらに近年は積極的に経済活動を通じて深く浸透しているように見えました。最近では、韓国の進出も目覚しいようで、韓国からの旅行者が非常に増えています。シェムリアップの市内では車体にハングル文字が書かれた観光バスが数多く走っています。そんなバスに日本の旅行会社のツアー団体が乗っているのを見るとちょっと妙な感じがします。日本からはシェムリアップへの直行便はありませんが、韓国からはインチョン(仁川)とプサン(釜山)の2空港から定期便が飛んでいますので、それだけ旅行者も多いということでしょう。市内には、大きな韓国料理店もあって繁盛しているようです。
一方、日本はと言いますと心なしか存在感が薄いように思えるんですね、これが…。そこで、カンボジアの人々に一番身近な日本は何なのか、狭い範囲ですがいろいろ見たり聞いたりしてみました。どうやらそれは“ホンダ”らしいという結論になりました。それも、アコードやインサイトといった高級車ではなく、バイク…大部分は中古の…です。もちろん、バイクは中国や韓国からも沢山入ってきていますが、それらは故障が多いようで、あまり人気はないそうです。現地では、ホンダ本来のバイクとしての利用はもちろんですが、エンジンを農耕機や船に付け替えて利用している人も多いと聞きました。本当に、つましくもたくましい人々です。
ところで、日本はカンボジアに対して、ODA(資金協力、技術協力など)として1億4600万ドル(今のレートでおよそ120億円、2010年のレートではもう少しおおくなるでしょう)、JICAの技術協力費、円借款、無償資金協力費などで158億円もの多額な援助を行っています(2010年/年度)。このような巨額な協力について、現地の人にはどう受け止められているのでしょうか。ためしに、遺跡を案内してくれた現地の日本語ガイドの人に「JICAは、こちらではどんな活動をしているんですか?」とたずねてみました。返ってきた答えは「医療面や教育面など、いろいろな活動をしてもらっています。とくに、義務教育という制度のないこの国で子供達が学校に通えるのはJICAのお蔭によるところが多く、とても感謝しています。」でした。このガイド氏は非常によく勉強していて、こうした突然の質問に対しても的確にこたえてくれましたが、一般の人々にとって日本の協力・援助はそれほどには感じられていないように思えました。こうした活動をもっと広く、的確にPRしていく必要がありそうに感じました。もちろん、それは決して恩を売るためではなく、正しく知ってもらうことが両国民の友好に役立つと考えるからです。
市民レベルの活動も見逃すことはできません。現地で二人の日本人女性について耳にしました。その一人は、小島幸子さん。一度でもカンボジアを訪れた人ならば、小島さんの名前を知らなくても、“マダムサチコ”あるいは“アンコールクッキー”と聞けば、あァ…と思い出すことでしょう。小島さんは、1999年にカンボジアに移住しました。はじめのうちは、日本語の観光ガイドや日本語教師をしていましたが、現地の人たちが活躍できる場を作りたいとの思いから、2004年に一つの会社を創業しました。現地の人たちの手で、現地の材料を使って、なおかつ品質と衛生面については日本レベルのクッキーを製造し販売する会社でした。おそらく、現地の人にしてみれば、初めてクッキーを口にした人ばかりだったことでしょう。手をとって一つひとつ教える地道な努力を重ねた結果、現在では90人近くのスタッフを抱える企業に成長しました。小島さんは、2008年日経WOMANのウーマン・オブ・ザ・イヤー総合4位に選出されています。もちろん私は、彼女にお会いしていませんが、きっと素敵な女性なのでしょう。
もう一人は、篠田ちひろさん。まだ20代の彼女は、小島さんほどには知られていないかも知れませんが、今年の3月にNHKのEテレ「アジアで花咲け!なでしこたち」で、“地雷の村をハーブで変える”女性として、また4月にはテレビ東京の「日曜ビッグバラエティ」で“世界のヘンピな所でがんばる日本人”として紹介されましたので、ご覧になった方もいるかも知れません。24歳でカンボジアに移住。2009年に25歳の若さでハーブ製品の開発・販売をする会社を設立しました。おもな製品はホームスパのグッズ、バスソルトなどで、包装にもカンボジア人スタッフのアイデアを取り入れるなど、現地の人たちの自立を目指しています。そのうえ、現地にまだ数多く残されている地雷の除去活動をするとともに、売り上げの一部を孤児院に寄付しているそうです。
このお二人に共通する点は沢山ありますが、まず二人とも20代の若さでカンボジアに飛び込んで、持ち前の行動力を発揮して、現地の人たちに自立するための意識と技術を持つことを教え、またその組織作りを行ったことにあるのかと思います。それは規模としては小さいですが、巨額の資金援助にも匹敵する民間レベルでの貢献だと言えましょう。“やまとなでしこ”って、本当にたくましく、そしてやさしいですね!
カンボジアの風はさわやかでした!
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