カンボジアの風(2)
[/caption] 道の脇に所どころ低い塀をめぐらせたこの辺りではかなり立派な屋敷があります。とくに街の中心部からトンレサップ湖に向かう道沿いに多いと感じましたが、これは北海道にかつてあった“ニシン御殿”ならぬ“ワニ御殿”です。その昔、この辺りではトンレサップ湖や湖に通じる水路、遺跡の環濠などに沢山のワニが生息していたそうです。このワニが多額の現金に換わることを知った住民によって乱獲され、今では野生のワニはほとんどいなくなったようですが、多くの“ワニ御殿”では裏庭にワニの養殖池を持っていて、現在もワニ皮の生産を続けているようです。私達が持っているバッグやベルトも、もとはシェムリアップのワニ御殿の出身だったのかも知れませんね。 少し遠くを見やると何か動くものが見えました。ヤギかな?と思いつつ良く見ると牛でした。あまりにやせ細っていて、山羊に見紛うほどでしたが、たしかに牛が草を食んでいるのです。この牛は、飼い主から餌をもらってはいません。食肉にすることがないのですからとくに太らせる必要がなく、飼い主も餌やりをしないで其処等の草を勝手に食べるにまかせているのです。では、何故飼い主が牛を飼っているのかといいますと、農耕や荷物の運搬などに使役するためなのです。このように体力の続く限り重労働に追い回される牛がいる一方で、世の中にはなんら労働を課されることがなく、栄養バランスに配慮された飼料を与えられ、丁寧にブラッシングするなど健康管理が行き届くなど至れり尽くせりの環境で育てられ、しかし挙句の果てには人間の胃袋に納まってしまう牛もいます。草を食んでいる牛を望見しつつ、私は“一体どっちの牛が幸せなんだろう?”と考えてしまいました。牛の気持ちになって考えてみても、答えがでてきません。あえて挙げるならば、第三の生き方、つまりインドの市街地などで見かける野良牛―誰からも追われることがなく、何も強いられることがなく、気の向くままに餌を食べ、どこででも休息する―そんな気ままな生き方がストレスフリーを究極の目標とする私には合っているような気がしますが、これでは全く答えになっていません。皆さまはどうお考えでしょうか? 午前中の観光が終わると、いったんホテルにもどり2時間ほど休憩して、また午後の観光に出ます。そんなホテルにもどる途中でのこと、車窓から下校途中の小学生を見かけました。子供の半数近くは裸足です。自転車に乗って帰る子供も沢山いました。自転車のお陰で何とか通学できる遠距離の子供が多いようです。この自転車の多くが、駅前などに放置されていたものです。日本での厄介物が思わぬところで役に立っていたのです。 [caption id="attachment_2065" align="aligncenter" width="272" caption="自転車で下校する子供達(車窓から"][/caption] 義務教育制度のないカンボジアでは、小学校の入学率がおよそ70%、中学校で35~40%、高校にいたっては20%程度といいます。農村部だけをとったらこの数字はずっと小さくなるものと考えられます。発展途上国のなかでも後発組のこの国の将来を支えるうえでの教育の重要性を考えると、とても残念な数字です。もちろん、そのおもな原因が貧困にあることは言うまでもありません。しかし、事は全てを貧困のせいだというほど単純ではありません。 [caption id="attachment_2070" align="aligncenter" width="260" caption="遺跡の中の学校(勉強の邪魔をしちゃったようでした)"][/caption] [caption id="attachment_2071" align="aligncenter" width="251" caption="トンレサップ湖に浮かぶ水上の学校"][/caption] カンボジアにおける近代教育制度は、フランスの保護下の時代に始まったと言われますが、この頃はフランス国内の教育を焼きなおした内容を中心に、フランス語による授業が行われたもの思われます。その後、1953年にシハヌーク国王のもとで独立したのちには、次第にカンボジアの実情に即したものに充実されてきましたが、75年ポル・ポト政権の成立と共に、事態は一変してしまいました。ポル・ポト政権下の3年間に、人口の3分の1が殺害されたと言われますが、とくに教員は知識層だということで厳しく弾圧されたようです。さらにインフラの破壊もすさまじかったようで、この結果、校舎、教員、教材がないという状態が長く続き、今でも深刻な問題となっています。先の終戦後の一時期、日本でも二部授業が行われたことがありましたが、カンボジアでは今でも二交代制をとって、校舎や 教員の不足に対応しているのです。教育分野は日本をはじめ諸外国の支援を最も必要としている分野の一つであるわけです。先ほど車窓から見た小学生は、午前の部の授業が終わって帰宅する途中だったのです。 [caption id="attachment_2072" align="aligncenter" width="239" caption="観光客の傍らで遊ぶ子供達(タ・プロム遺跡)"][/caption] [caption id="attachment_2074" align="aligncenter" width="232" caption="観光客にスカーフを売る女性(ベン・メリア遺跡)"][/caption] 観光旅行者にとって、帰宅後のあるいは通学していない子供達に会う機会はそうありません。そんな中で、もっとも見かけたのは遺跡周辺で観光者をみつけるとバラバラと集まり、絵葉書や写真を売ろうとする少年達でした。決してしつこくはないのですが、粘り強く観光者にまとわり「ワンダラー」「ワンダラー」と言いながらついて行きます。“ノーノー!”と言っても“いらないッ!”と言ってもなかなか引き揚げない。習いたてのクメール語で“テー、テー”と言ってみたら素直に戻っていきました。思いのほかキチンとしているようです。彼らがどのような仕組みの中で働き、彼らの取り分がどれくらいなのかはわかりませんが、自分の仕事と考えて一生懸命に取り組んでいる様子はうかがえました。 トンレサップ湖のクルージングに行ったときのこと。7~8人の客が乗り込んだクルージング船は40人乗りくらいの小型なもので、乗組員も船長一人、それに小学校高学年くらいの少年が乗っていました。多分、船長の子供だと思います。船室の整頓をしたり、離着船のときには艫綱を解いたり舫ったりとコマゴマと動きまわって、乗船客の笑顔を誘っていました。船が水路から湖に出ると少年の手が空きます。すると、乗船客の間に入って肩をもんで回っていました。カメラを向けてみると、愛嬌たっぷりにポーズをとってくれました。写真を撮らせてもらっても無表情の人が多いこの国では、この写真は貴重な1枚となりました。一通り乗客の間をまわり終わると、今度は“ワンダラー”と言いながら回ってきました。みんな少年のキビキビとした働きを見ていますし、わずか100円足らずの金額ですから笑顔でわたしていましたが、よく考えてみると、本当にたくましいものですね、ひと月の生活費がおよそ1万5000円(ざっと200ドルと考えて見ましょう)と言われていますので、一日に10ドルか20ドルのチップをもらうことができれば、優に大人一人の稼ぎに匹敵するものになりますから。 [caption id="attachment_2075" align="aligncenter" width="242" caption="愛嬌たっぷりに乗客の肩をたたいて回る少年"][/caption] ここで新たな疑問です。このように学びたいのに十分な教育を受けることが出来ない、しかし幼いうちから生きる術を体得し貧しいながらも前向きに生きている子供と、事実上高校まで義務教育化し親掛かりで大学まで卒業していながら生きる目的がわからず、マンが喫茶で寝泊りしながらニート生活を送っている青年と、どちらが幸せなのでしょうか?今度は牛ではなく人間の話ですから、簡単に答えが出そうに思えますが、私にはやはり的確な答えが見出せません。なぜなら、そこに幸せってなんだろう、という極めて哲学的な問題が介在しているからです。 昨年10月、震災後の日本を訪れ高野山大学で講演されたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ師は、幸せについて「人はいいことが起きたとき、好きな人といるとき、美味しいものを食べたとき、欲しいものを手にいれたとき……さまざまな外的要因によって、幸せであると意識する。しかし、このような幸せ感が続くのはほんの一瞬のことであり、震災を乗り越えてきた日本人は、これからは精神や心の豊かさを求めていかなければならない。」ごくごく大雑把に要約してみるとこのように述べられていたように思います。そう考えてみるとどちらが幸せか?などという疑問自体が無意味だったなァと反省頻りです。経済や物の豊かさではなく、一人ひとりの心の充実感が大切なのですから、外の人間がとやかく言うことはありません。 最後に、前回に倣ってカンボジアで活躍しているもう一人の“やまとなでしこ”について触れてみます。NGO法人蓮の会の代表木村エミ子さん、通称「マダムキムラ」です。マダムキムラは、パートナーであったフランス人外交官に先立たれた後、カンボジアに渡り、貧しい子供達に日本語の指導をおこなう一方、プノンペンに和食のレストランを開いています。オリガミレストランは2006年に現在地に全面新装していらい、今では代表的な日本食レストランとして評判になっています。でも、マダムキムラの真骨頂はこのレストランのオーナーであるよりも、むしろ8歳から12歳くらいの子供を対象に、日本語・日本文化の学校「オリガミスクール」を開設運営していることです。生徒数120名、当初個人で始めて現在ではNGO法人化されていますが、レストランの収益をつぎ込んで頑張ってきたそうです。今でも閉店後のレストランに一人残り料理を作り、翌日スクールの子供達に提供しており大評判を呼んでいるようです。さらに貧困家庭の子供を10人ほど引き取って母親代わりとなって面倒を見、また7人の子供を日本に留学させているとのことです。すでに還暦をこえた“やまとなでしこ”ですが、本当に頼もしく、やさしい肝っ玉母さんですね。 カンボジアの風は、素朴でたくましかった!]]>