噂の麗人
今、密かに巷を騒がせている噂の麗人にお目通りが叶いました。
麗人といっても、人ではなく仏像ですが。
その麗しいお方とは、滋賀県・渡岸寺(どうがんじ)の十一面観音で、東京国立博物館「仏像展」後期日程(11/7~12/3)限定のお目見えです。門外不出の方なのですが、初の御外遊となったため、待ってましたとばかりに馳せ参じました。
この観音は比類ない美しさゆえに書籍や写真集も多く出され、白州正子をはじめ文人達も惜しみない讃辞を贈っているだけに、既に知り尽くした感があり、内心、実際目の前にしたらがっかりするのではないかと不安がよぎっていました。
ですが、それは全くの杞憂でした。初の逢瀬はとても素晴らしいものになりました。仏像の前で時間の経つのも忘れるほど見惚れたのは初めてです。出来れば、日がな一日見つめていたかったのですが、監視員の手前、さすがに思いとどまりました。
我が目で拝し、頭の中だけでのイメージはだいぶ変えられました。これまでは、官能的な美しさ、近代彫刻的な造型に魅かれていたと思います。微風にそよぐ柳枝のごとく流れるような姿態、月のような弧を描いた眉、伏した半眼、奔放な悪女を思わせる色香、どれをとっても、どこから見ても文句なしです。
ですが、対面したとたん「色っぽいなぁ」「スタイル抜群ね」などという不遜な考えは吹き飛び、下々の者がたやすく近づけない、気品溢れる清冽な佇まいに打たれました。完璧なまでの姿や美しい顔の造作さえ見えなくなるほど、内部から強く発光する神々しさ(仏々しさ?)に圧倒されてしまったのです。当たり前のことですが、やはり仏像なのです。
昔の信者たちは、「仏像を見たら目がつぶれる」と言って、秘仏としてお堂に祀り、姿を何十年と拝まずとも守り続けるということをしてきたらしいですが、そんな感覚が、クリスマスも初詣もこなす“形だけ仏教徒”の私にも一瞬だけわかった気がしました。
渡岸寺観音は9世紀平安時代の作だとされているので、ざっと1200年もの歳月を、近江・湖北の民が途切れることなく守り続けてきました。戦国時代には戦火を免れるため、土の中に埋めたそうです。その時に寺の方は焼失しています。(現在、正式には向源寺所有)近代には、廃物毀釈の嵐も吹き荒れました。現存しているのは奇跡的といっても良いでしょう。民は仏教的信仰心というより、身内的な情愛をもって守り抜いてきたように感じます。
人々を救済してくれるという観音も、逆に人々から救われ続けなければ生き長らえなかった事実は、実は見逃してはならない重要な点だと思います。
仏像に悠久の命と霊性を与えるのは、仏師や地域の衆など、名もないあまたの人々であると確信しています。人々から顧みられなくなった時、どんな霊木から造られた仏であっても、ただの木の塊に戻ってしまうでしょう。
渡岸寺観音は「東洋のミロのヴィーナス」とも賞されていますが、この言葉にはいまいちピンとこなかったのですが、今は自分なりの解釈をしています。
「愛と美」の女神・ヴィーナスは、姿美しくして愛を与える神という意にとどまらず、美しさを一つのきっかけとして、人々に愛され続ける神であるのだと。
どんなに世が移ろっても、変わらず愛され続けるものには、美醜を超えた真の美しさが宿り、それがまばゆい光の矢となって、見る者の心を射るのだと思えてなりません。
いつか、博物館の中ではなく、本来の在所――観音を守ってきた人々の暮らす琵琶湖畔で、その風や水や陽を感じながら拝することができたなら、と思いを強めました。