生と死
大切な家族の死に遭遇し、悲しみの淵から立ち直れない人や心の病に悩まされている人など、「死」は人間にとって大変大きなテーマです。私も昨年末父を亡くし、百貨店の「父の日」コーナーをみても、「そうか。もう今年はプレゼントを贈る相手がいないのかぁ。」などど、ちょっとしたことでも感傷に浸ってしまいます。
先日、浄土真宗の僧侶をしている友人夫婦に、一冊の本をもらいました。あのアカデミー賞を受賞した「おくりびと」の原作者、青木新門氏の講演を一冊の本にまとめたものです。その中で、「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり。」という親鸞聖人の一節を紹介して:「……幼児が「お母さん」と呼ぶとき、へその緒でつながっていた(いのち)のまま「お母さん」と呼んでいるのです。お母さんがいのちの全てなのです。呼び名がいのちなのです。」と親子の関係を例に上げて解説していました。一節だけの紹介では、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、講演の全体を通して、いのちは個人の所有物ではなく、「いのちのバトンタッチ」をしながら、親から子へ、そして孫へ、大きな愛をもって受け継いでいくのである。生と死は密接に結びついており、生も死も個人の所有概念から葬り去ると、新しい境地に達することが出来る等々の内容です。
青木新門氏は実体験を元にこの「納棺夫日記」を執筆したそうですが、仕事を通じて人の死やそれに遭遇する家族を多くみてきたからこそ、死からみえてきた生のあり方について語れるのかもしれません。
児童書の内容が残忍だという理由から、死のシーンを消し去り、物語の内容さえ変えてしまう今日の日本にあって、正しい生のあり方を見つめるのは非常に困難になってきたようにおもいます。
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