つぶやき
さて死の先には何もないのでしょうか?このことは何千年と語り継がれ、研究され未だ科学の英知を集大成させても正しい回答を導き出すことができません。 答えが出ない時、私はよくその反対の意味について考えることがあります。美とは何だろうか?考えても答えが出ない時は、では美の対義語である醜とは何か、と考えるのです。 さて、死の対義語は生になります。究極の生きている、とは心と身体が健康な状態である、ということになります。そして魂が宿っているということです。魂が抜けた状態が死であるわけですから、魂が生きていることの証(魂が肉体に宿っている状態)になるわけです。 人間は生まれてからすでに死に向かってカウントダウンしているのです。その長さは個々に違いますが、カウントダウンが始まっているのは紛れもない事実です。 究極の「生きること」とは魂が喜ぶことをする、ということです。魂は心臓にあるのでもなく、脳にあるのでもありません。私たちの身体の細胞の一つ一つに宿っているのです。ですから喜ぶことも身体中が喜ぶことでないと、魂は喜んではくれません。 今年の夏はエアコンの部屋から出て、マイナスイオンのある自然の中にお出かけになっては如何でしょうか?きっと皆様の魂もお喜びになるとおもいます。 ]]>