9・11に想う
世界中を震撼させた「9・11」事件から、5年の月日が流れました。皆さんはこの間、どのような日々を送られて来たでしょうか?
大切な人を失うということ。―――形はどうあれ、それは耐え難い苦痛です。ましてや、殺戮の犠牲者であったなら、どんなにか。残された人たちが憎悪の情を剥き出しにするのも、人間としてごく自然な気持ちの表れで、責めることのできないことだと感じています。
特にテロ・戦争・虐殺など、憎しみをぶつけるべき相手が誰なのかわからない場合、その感情は行き場すら失ってしまいます。
そして、今、世界には行き場を失った憎悪の念がたくさん彷徨っています。それらは互いに引き合い、急速なスピードで結びつき、飛び火し、やがては世界を覆い尽くしてしまうのではないか。温室の日本に居ても、時折不安に駆られます。
今年の「9・11」はフローランス・ミアイユ展開催中に迎えました。奇しくも、ミアイユ作品の中に、まさにその日のために捧げたようなずばりの作品があるので、ご紹介したいと思います。
「白い鳥 黒い鳥」という4分ほどのとても短い作品です。フランスの教育チャンネルで放映された番組「ティエルノ・ボカールの生涯」の挿入アニメーションとして創られました。
ティエルノ(※)・ボカールは、西アフリカ・マリのイスラムの道士であり、コーラン学校の先生でもありました。賢者ティエルノの教えの一つを取り上げています。
「白い鳥 黒い鳥」
白い鳥は「善」の鳥。黒い鳥は「悪」の鳥。
白と黒はオセロのように表裏一体で、白い鳥は黒い壁の穴にしか入れず、
また黒い鳥は白い壁の穴にしか入ることができません。
人間もこの壁の様に白い鳥と黒い鳥が同居しています。
一人が「悪」の心を抱いていても、相手がそれを受け止めなければ、
黒い鳥は行き場をなくして、元の巣に戻って行きます。
しかし、お互いが「悪」の心を抱いていれば、それが憎しみとなります。
逆に、お互いが「善」の心を抱いていれば、「白い鳥」は羽根を大きく羽ばたかせて、そしていつか自分に舞い戻って来るのです。
白黒はっきりつけられるほど、世界情勢は単純ではないでしょう。そもそも、どちらの感情が黒なのか白なのかも、あってないに等しいことなのかもしれません。
それでも、何か言えることがあるとすれば、誰かと憎しみ合い続ける人生より、誰かと笑い合い、互いに思いやれる人生こそ選びたい、ということでしょうか。
どんな民族、どんな宗教を信ずる人であっても、それは共通であると思うのですが。
日々の暮らしの中で、非力な私には大それたことは出来そうにありません。ですが、せめて、自分にとって大切な人達に明日という日が無事来ますよう、願いたいと思います。
ティエルノ(※)・ボカール…
「アフリカのいのち―大地と人間の記憶/あるプール人の自叙伝」アマドュ・ハンパテ・バー著 参照
イスラム圏の日常・教育などが垣間見れる楽しい物語仕立て。第1回熱帯大賞受賞。お薦めです。