フローランス・ミアイユインタビュー | 2003・03 | ||
Q1 | アニメーションの魅力はどこですか? | パリ・カルチェ地区を作家と歩く | |
FM |
ナレーション、画像イメージ、動き、音楽などのいくつもの芸術様式が加わって一つの作品が出来るわけですからこれは魅力です。動かない画像イメージを新しい空間に放ち、命を吹き込むような感じでしょうか。例えば、絵画では加筆した場合、もとの絵を見せることはできませんが、映像でしたら全てのプロセスを見せることができます。映像にした際に偶然に生まれる動きなどを発見する事も魅力の一つです。作品ごとに、そのテーマに応じ適切な技法を試みていますが、それは制作の楽しみでもあり、また新しい芸術を目指すことでもあります。動画を制作するということは、フィルム編集、脚本、音声、音楽との共同作業でもあり、また、あらゆる芸術的な貢献の成果でもあります。 |
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Q2 | 絵画からアニメーションに移行していったきっかけを教えて下さい。 | ||
FM |
実際いつからアニメーション(注1)に傾倒していったのか確かな記憶はありませんが、強いて言えば、パリ装飾美術大学(L'Ecole Nationale Superieure des Arts Decoratifs a Paris)に在籍していた頃、自分の油絵を動かしたいという気持ちがあったことを思い出します。大学では銅版と油彩を専攻し、卒業後は油絵、イラストレーションの制作を続けていましたが、いつかアニメーションを制作したいという気持ちは持ち続けていました。トルコの公衆浴場 (フランス語でハマム "Hammam” )をテーマにした絵画のシリーズを制作した際、二人の知人から勧められアニメーション制作をはじめる事になりました。一人は画家で映画監督のロバート・ラプジャード氏(Robert Lapoujade)で、もう一人は私の友人でした。ですから、私の最初のアニメーション作品が 「ハマム」 になったのは当然のなりゆきでした。(注1)翻訳者注:「アニメ」というよりは、映画も含めた「動画」という意味合いで使われている。 |
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Q3 | それぞれの作品で表現したいと思ったことはなんですか。 | ||
FM |
最初のアニメーション作品 「ハマム」 は、トルコ風呂をテーマに制作したクロッキーの連作、油彩、そして、シルクスクリーンによる挿画本をもとにして制作しました。ハマムはとてもユニークな場所です。若い人から年寄り、痩せた人、太った人、さまざまな人々がいます。ここは時間、流行、そして偏見といったものとは無縁な場所です。このフィルムは紙に乾燥パステルで描いたイメージを撮影して映像にしたものです。イメージを加筆しながらアニメーションにしています。この作品にはナレーションはありません。巨大なキャンバスの中で奏でられるバラードのような感じです。絵画の中に閉じ込められた女性たちを動かしたいという衝動に駆られたのが 「ハマム」 を制作したきっかけです。このあと制作されたアニメーション作品には技術上の向上があったかもしれませんが、もしかしたらこの 「ハマム」 を制作した時ほどの新鮮な気持ちを持てたことはなかったのかもしれません。 |
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この作品の後、ストーリー性のあるものを取り上げたいと思いました。「ハマム」 のようなオリエンタルな雰囲気から離れたくなかったので、以前から好きだった 「千夜一夜物語」 から迷わず題材を得ました。そして、ARTE(注2)というテレビ局に話を持ち込んだのです。ストーリーをある程度みじかくするために、話の最初と最後をつなぎあわせて、シエラザードという人物に視点を置きました。シエラザードが狂気の王にどのように立ち向かったか、彼女が王に語った物語のおかげで、彼女や国に女性達の命を救うことができたか、などをわかり易く構成しました。結局、ARTEでこの企画が実現することはありませんでしたが、「シエラザード」は私個人が制作した最初の短編映画です。技法は「ハマム」と同様に乾燥パステルを使って制作しました。「シエラザード」では人との出会いにも恵まれました。脚本にはマリー・デプレッシン(Marie
Deplechin)、音楽にはデニ・コラン(Denis Colin)、音声にはアガサ・クーチャン(Agathe
Chouchan)が担当してくれました。この作品が成功を収めたのは、共同作業から生まれた映像、脚本、音楽、リズムが融合して出来上がったものと信じています。(注2)翻訳者注:ARTEはフランスとドイツ両国でテレビ番組を制作・放映しているテレビ会社であり、質の高い芸術番組をとりあげることで知られている。 |
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「シエラザード」の次に、テレビ局のARTEは主人公、シエラザードが語った「千夜一夜物語」の一つの物語をテーマにアニメーションの制作依頼をしてきました。私は片目乞食僧が語るいくつかの物語を結合させて「片目乞食僧になった王子@A」 を制作しました。この作品は限られた時間制限の中で制作を強いられたので35ミリではなく、デジタルで撮影しました。 | |||
とても強烈な物語に基づいたこの二つの作品の後、私は再び自叙伝的な作品である「ハマム」 で表現した自由な雰囲気の作品をつくりたいと思いました。私の父は南フランスの小さな村の出身で,私たちはいつもそこでヴァカンスを過ごしたものです。この村では毎年8月の第一日曜日に村祭りが催され、あらゆる世代の人々が参加します。私は村祭りを表現するのに 「絵でかかれたルポタージュ」風に子供の頃の思い出をミックスさせるのが面白いと思いました。そうすることでフィルムに幻想的な広がりを持たせる事ができるからです。まず、夏祭りを現場でクロッキーすることから始めました。それから音に取り組みました。現場で音を録音し、臨場感と活気を出すためにその音を再構築し、映像と調和させる努力をしました。デニ・コラン氏(Denis Colin)が再びこの企てに加わり、親しみのある音楽を制作してくれました。技術的にも進歩を遂げたように思います。特に光の表現や画面の奥行きを持たせることに努力しました。この作品は以前のアニメーション作品より映画らしくなっていると思います。 |
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一番最近作成したフィルムはARTEの要請によるものです。ルイ・デック(Louis Decpue)というドキュメンタリー映画監督が制作したティエルノ・ボカール(Tierno Bokar)の生涯と教育についての映画です。ティエルノ・ボカールはマリ共和国のコーラン学校の先生で、マリの偉大な作家で教え子だったアマデゥー・ハンバテ・バー(Amadou Hampate Ba)が作品の中で語っています。ルイ・デック監督はティエルノが生徒に語った哲学的寓話の一つを再編集するために、ドキュメンタリーにアニメーションを組み込みたかったのです。私はティエルノの原作を元に、このドキュメンタリー「白い鳥と黒い鳥」を創りました。今回は粉パステルと絵具をガラスの上に落として撮影しました。この技法は動作の表現においてとても柔軟性のある制作し易い技法でした。 このフィルムは4分間のとても短いものです。しかし、今回この新しい技法を試すことができてよかったと思いますし、次回の作品にも使ってみようと思います。限られた題材の中にあって、個性的なテーマを見つけることができたと思います。また、デニ・コランに音楽を依頼しました。そして、個性的な作品に仕上げるためアフリカの声優に声を担当してもらい、モンタージュ、ミキシングしました。 |
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Q4 | 「ハマム」や「シエラザード」などオリエンタルな主題で多くの作品を創っているのはなぜですか? | ||
FM |
オリエンタルな主題からインスピレーションを得ているのには長い「歴史」があります。私の母は1954年に植民地当時のアルジェリアを主題に絵画描写をともなったルポルタージュを作成しました。1974年に家族は当時世話になった知人を訪ねてアルジェリアに行きました。その滞在中、知人の娘が結婚し、私達をハマムに連れて行ってくれました。現地では花嫁は身を清めるためにハマムに行く習慣があったためです。この経験は私の記憶に強く残り、パリに戻ってからハマムを題材に絵画作品を制作し始めました。また、私は地中海の女性の身体から発する魅力や東洋的な素材や色彩にとても惹かれたのです。しかし、オリエンタルなテーマを題材に3本フィルムを制作した後、ある一定の分野に固執せず、もう少し身近なテーマに取り組みたいと思うようになり、ある田舎の村祭り(注3)を題材に選んだのです。ただ 「身体とその動作」 については今後も引き続き取り組んでいきたい題材です。 (注3)2002年度のセザール賞を受賞した「ある8月の第一日曜日」は村祭りをテーマにしたもの。 |
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